ロマンティック ナンバー43

本日11時40分起床。眠気が凄まじい。最近起床時間が遅めだったので、午前に起床するサイクルに戻すべく鞭を打つ。いつの間にかレンタル返却期限になっていた「ウェイキング・ライフ」(2001年/米 監督・脚本:リチャード・リンクレイター出演:ワイリー・ウィギンス/イーサン・ホーク/ジュリー・デルピー 音楽:トスカ・タンゴ・オーケストラ 配給:20世紀FOX)をようやく観る。
衝撃であった。出会うべくして出会った作品である。出会うべき時に。
夢と現実の境界が曖昧になり、夢の中を彷徨う主人公は次々と人々に出会う。出会う人達は主人公に様々な話を語りかける。それは、哲学的な内容や精神世界に通ずる真理、現在の社会へのアンチテーゼ、そして予言的なもの・・・人はどう生きるのか?人類は何処へ向かうのか?夢と目覚めの捉え方とその不確かさを通して問いかける、“リアル”とは何か?その数々のメッセージに、わたしは衝撃を覚えた。それは、近頃の私が思い、感じていたことと極めて酷似していたからである。まるで、私の心の中に渦巻いている思いを代弁されたように感じたのだ。
このようなメッセージ・難解な問題、その温床となる現在の社会状況は、60年代後半に似ている。ベトナム戦争を契機とした混沌と、テロを契機とした混沌。それは似て非なるものであると私は思う。前者と後者の間には、尋常ではない速度での飛躍的発展が横たわっている。決定的なのは、60年代のムーブメントの空虚とも言える終焉を我々はアーカイブとして持っていることだ。だが、これだけのテクノロジーの差がありながらも意識の変容・ドラッグ・自然回帰・他者との共感・反体制・・・内包するエレメンツは同じである。これが60年代と対比される所以なのだと思う。それは現代文明に生きる人間と、地球に生きる根源的なヒトとの軋轢の具象のように感じられる。それを共感しているということに、集合的無意識を感じずにはいられなかった。
エレメンツが同じであるように、混沌からは新たな思想・哲学・アートが生まれるのは変わらない。リチャード・リンクイレイターは、様々な人の語りを通してプリーチングしていると共に、斬新なアートをもこの作品で展開している。人物などの実写映像を何十人ものイラストレーター達がデジタルペインティングを施すという、斬新な手法を用いた映像実験をている。こうして作られた映像はCGとアニメーションの絶妙なコラージュとなっており、レイヤーごとが不規則的に波のようにゆらめき続けている。それは不思議な浮遊感と不安定さを与え、まるで夢の中にいるかのような視覚体験を見るものに仕掛ける。サイケデリックそのものである。終始続く語りが観る者によってはただただ退屈な説教になりかねないのだが、その圧倒的なアニメーション映像によってカッティングエッジでクリエイティブな作品としての輝きを放っている。それにしても、この斬新かつ実験的な映画がアメリカのメジャーレーベルから世に送り出されたことも衝撃である。
ラストに、主人公は目覚めたのか?夢の中で夢から覚めるというループが繰り返されるだけなのか?それとも死んだのか?答えは観る者次第という含みが持たされている。この答えの一つを別の形で提示してるのが、「週刊ヤングマガジン」(講談社/刊)で14年に渡り連載され今週号で最終回を迎えた「代紋TAKE2」(木内一雅/原作 渡辺潤/漫画)のラストである。私の感想はこれに近い。夢だろうが現実だろうが、自分を取り巻いて実感を与えているものがリアルである。そこでただ生きるだけだ。と、渋谷TSUTAYAにビデオを返却して19時から2時まで7時間ネカマ。それが現在の私のリアルである。
今夜はSCAR君がオーガナイズしているイベント「dessert」@izmと、小川君のレギュラーイベント「Base Of Operation」@LOOPが開催されているので、ネカマ終了後SHIBAD君とネカマツリ4の営業がてら遊びに行って、帰宅。
SCAR君、小川君お邪魔しました!お疲れさまです!
izmで会った、SHINY、アキちゃんお疲れ様!
LOOPで会った、ちえちゃん、ゆうき君、なつみちゃんお疲れ様!






関連サイト

  • dream is destiny... Waking Life

http://www.foxjapan.com/movies/wakinglife/index.html